2020年に東京オリンピック開催決定
田園調布の獅子内です。
「心のデフレからの脱却」なんて表現がありましたが、なんとも明るくなるニュースが駆け巡りました。
勝敗を左右したのは、IOC総会での投票前に行われた最終プレゼンテーションだったとか
そんな報道を聞いて、夜な夜なインターネットでその内容をチェックしてみました。
個人的に印象に残ったのは高円宮妃久子さまの復興支援への感謝の言葉。
単語一つ一つがとっても綺麗で宝石のように思えてきました。
そして一番惹きつけられたのは、フェンシング太田選手のプレゼン。
勇ましく胸に響いてくる言葉の抑揚とジェスチャー。
世界に飛び出し、活躍する若者の一挙一動に心を奪われてしまいました。
普段から思うのですが、聞き流すだけとか、人マネばかりの求心的な方法からのコミュニケーションツールでは、本当の意味での自己表現として身に付かないわけで、少しくらい間違いを気にせず、伝えたい気持ちを前面に出していく、、、やはり大事な能力なんだなと思えるプレゼンテーションの数々でした。
7年後の東京はどうなっているのでしょうか
交通網もよく、よくスポーツ観戦に行く神宮外苑もずいぶんと変わるのでしょうね。
その時の自分は42-3歳不惑
立派な中年ですね。。。
今くらいの体力は維持していたいですし、PNFもさらに上手くなって、人の役に立てる自分でいられたら、、、頑張らなくてはです。
ついでに7年前の自分を思い出してみました。
2006年。
当時の自分はアメリカ、カリフォルニアにいました。
PNF発祥の地、VallejoにあるKaiser Foundation Rehabilitation CenterにてPNFの9ヶ月間の研修-就労プログラムに参加していました。
今思っても、随分無理があるチャレンジでした。
アメリカに住む、他国から来た研修生(ドイツ、ポーランド人)とひとつ屋根の下に暮らす、英語でのコミュニケーション、外国人としての身分。
PNFを学びに行ったのですが、それ以外の学びがとても多く、7年前の経験、人との出会いがなかったら、今の自分はないはずです。
そんな研修生時代に、自分にも沢山の人に耳を傾けてもらえる機会が2度ありました。
ひとつは研修プログラムの最後にあるリサーチプロジェクト。
その前に一度ありまして。。。
左下の部分を拡大しますと、、、
あまり人にこれまで話したくなかったのですが、研修病院が主催するゴルフコンペで完全事故のホールインワンを出したことがあったんです。
PNFの創始者、Maggie Knottが生前に好んでプレーしたゴルフを通じて、病院にくるボランティア活動資金を集めるチャリティーコンペでした。
それまで全くボールに当たらない自分は、136ヤードの打ち下ろしにも関わらず7番アイアンを持ち出し、よりによってナイスショット。
完璧オーバーなボールは岩に当たって跳ね返り、、、、旗に向かい穴に入ってしまいました。
全く意味が分からないまま、ホールアウトしパーティーへ。表彰式の一番最初に名前を呼ばれたかと思うと、会場の150名くらいの人からスタンディングオベーションをもらい、スピーチをすることになりました。
心臓バクバクで、何を話してよいかも分からず、とりあえず腰砕けのまま立って会釈をして、「無理だよ」って思いながら、一言二言で終わらせてしまいました。
限界まで緊張した瞬間でした。
たまに当時の事を思い出し、「なんであの時しっかりスピーチできなかったのかなぁ」と後悔したりします。
7年経った今の自分は、指導者としてのトレーニングを受けているのですが、人前に出て言葉を発する機会が多くなりました。
あの時の緊張感に比べたらと思いつつ、人前に出るのが嫌な自分を自制して、指導するようにしています。
ここから7年、日本の人々は外に向けて発信する機会がどんどん増えていくと思います。
国際化が加速する中で、自分も放つ言葉にもっと感情を込めたり、分かりやすい論理を入れたり、聞いてくれる人が勇気をもてるような発信者になりたい、オリンピック開催のニュースからそんな事を思いました。