本日のブログは御茶ノ水の武原が担当させて頂きます。
先日ニュースでこんな記事をみました。
「やったぜキヨシ!6年振り“最下位脱出ターン”」
そうです。
プロ野球で横浜ベイスターズが前半戦を4位で折り返したというニュースです。
しかし、いつから最下位が定着したのでしょうか
記憶の中にはベイスターズが優勝時の映像も残っています。
どれくらい前なのだろう
Google先生に聞いてみよう
ベイスターズの優勝は1998年か。
そうだ1998年だ
1998年、スポーツ界は「横浜の一年」だったことを皆様は覚えていますか
最初の舞台は、箱根駅伝。
1月2,3日、連覇がかかった神奈川大学が、往路・復路をトップでテープを切る完全優勝を達成。また当時歴代2位の総合タイムを記録した。
次の舞台は甲子園。
当時松坂大輔擁する横浜高校が春の選抜を優勝。
そしてその夏、準々決勝、準決勝と苦戦を強いられながらも決勝へと駒を進め、ノーヒットノーランとともに同校史上初となる春夏連覇達成した。
プロ野球。
当時の横浜ベイスターズは「マシンガン打線」と呼ばれ、石井琢朗、波留、鈴木尚典、ローズ、駒田と続く打撃陣。投手陣は斎藤隆、三浦大輔、阿波野、大魔神こと佐々木主浩、そしてその女房役のキャッチャーは谷繁だった。この充実した戦力で、38年振りの日本一を達成した。
最後はサッカー界。
1998年、横浜フリューゲルスは横浜マリノスへの吸収合併が決まっていた。
クラブとして最後の戦いに挑む天皇杯。1試合1試合を勝ち抜き、1999年元旦国立競技場にて、天皇杯を制覇する。
フリューゲルスは優勝ともにクラブの消滅をむかえた。
1998年1月2日から1999年1月1日は横浜におきた奇跡の365日間であり、神大—横浜高校—ベイスターズーフリューゲルスと続いたこの「横浜」の快進撃により、歓喜に湧いたことを記憶しています。
(横浜市民ではありませんが、、、)