皆さん こんにちは
今回は、御茶ノ水・高森が担当させて頂きます。
先日、夏休みを頂いてパラオに行って来ました
パラオ共和国は、とても親日国で国旗も日本の日の丸と
よく似ています
それもそのはず、第二次世界大戦で負けるまでは日本が
統治していた国です。
今年、天皇・皇后両陛下が4月9日、パラオ共和国のペリリュー島を
初めて公式訪問しました。
戦後70年を迎えて戦没者を慰霊するためです。
太平洋戦争の激戦地となり、旧日本軍の守備隊約1万人が
亡くなっています。
この島で何が起きたのか・・・
ペリリュー島は、南北約9km、東西約3kmの小さい島で
パラオ諸島には唯一の大型飛行機が着陸できる「東洋一」と
言われた飛行場がありました。
日本はこの島を死守するために、島じゅうに洞くつ陣地を
500~600も作り、1944年9月15日に上陸した3万人近いアメリカ軍
との間で2ヵ月半の間、壮絶な戦いをしました。
禁じられた玉砕
旧日本軍はペリリュー島での無謀な突撃を禁じられました。
兵士たちは、洞窟に身を潜めて持久戦に徹することを強制された
からです。
日本本土への攻撃が1日でも遅らせることが目的だった様です。
戦争が終わった事を知らずに2年半も洞窟生活をしていた兵士達。
34名が生き残っていました。
今現在、3名の方が御存命だそうです。
34名の方々は、アメリカ軍から食料を夜な夜な盗んで生活を
していたそうです。
洞窟から出できた時には、あと2年も生活できるほど備蓄されていたので
みんなびっくりです
戦後70年を迎えて、日本とアメリカの元兵士達が話す機会があり
昔は、敵だったのに今では懐かしい戦友に会うかのように、
元日本兵:
『私達は2年半の間、あなた達の食料のおかげで生き延びる事が出来ました』
元アメリカ兵:
『そしたら、これから領収書を用意してそちらに送りますね』
なんて、会話がなされたそうです。
時間が経ち、こんな会話ができるようになるんですね。
それだったら、戦争なんてしなければいいのに。。
絶対、反対
また、いつかパラオに行きたいです